画像左上・左下:沖縄県公文書館所蔵
賑やかなタウンビーチリゾート「北谷町」。人びとが多く集う美浜アメリカンビレッジを中心とした現在の海辺のエリアは、じつは1970年台以降に造られた埋立地。さらに北谷町全体が米軍基地の返還地であり、もっと昔は海岸線が現在の国道58号線よりも内陸側にあって、縄文時代の遺跡まで出土しているなど、北谷町はドラマチックな変遷を遂げて現在の姿があります。
今回は北谷町立博物館の学芸員の藤さんと北谷町を巡りながら、“海岸線”をテーマに北谷町の歴史を教えていただきました。
1.伊礼原遺跡-2500年前の海岸線
2.戦前ごろの海岸線
3.1970年代~に進められた埋立地
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1.伊礼原遺跡-2500年前の海岸線
▲伊礼原遺跡は海辺エリアまで少なくとも300mは内陸側にある▲
北谷町立博物館に隣接する伊礼原遺跡に屋外展示されている「ビーチロック」は、基地返還に伴う発掘調査で博物館目の前の道路下から出土しました。
そもそも岩は何千・何万年単位で圧縮されて生成されるものですが、ビーチロックは海岸の砂が炭酸カルシウムの化学反応によって相対的に短時間で固まってできる天然コンクリートのようなもの。ビーチロックがあるという事はそこがかつて波打ち際だったという事を物語ります。
▲たしかに沖縄の海辺の岩ってこんな風▲
約2500年前の縄文時代は今より約5mぐらい海水面が高かったといわれており、ちょうど博物館や伊礼原遺跡の前に海が広がっていたことが発掘調査からも明らかになっています。
伊礼原遺跡ではクシやザルなど日用品が多く出土しており、縄文時代の人が海の近くで生活していたという事が分かります。
2.戦前ごろの海岸線
上下画像:沖縄県公文書館所蔵
沖縄県公文書館に所蔵されている水田のある写真。その解説は以下の通り。
“Typical Okinawan scene with terraced paddies.”(棚田が写る典型的な沖縄の風景)
FARMER PLANTS RICE IN IRRIGATED SOIL – The farmer in his rice paddies is a familiar sight on the island of Okinawa, Ryukyu Retto.(農夫が田植えをするのは沖縄ではなじみのある光景である)
戦前の沖縄では米作りが盛んで、とくに北谷町から南の宜野湾は湧き水が多く、戦前の北谷には県下三大美田の一つ「北谷ターブックヮ」を有する米の産地として知られていました。
▲引用元:北谷町刊行「北谷の海」▲
また遠浅の海では漁業が盛んでした。現在は海に面していないものの、かつては海沿いにあった事が想起される地名が今も残ります。
そのうちのひとつ、地図画像上⑬で示された場所は「シルバカヌサチ (白墓の崎)」というのですが、これは“白い大きな墓の近くにある崎”という意味。
▲道路のカーブにも歴史あり▲
付近はかつての海岸線が道路となっており、道路がカクっと曲がっているのはここが崎だった名残なんだそう。
3.1970年代~に進められた埋立地
おそらく多くの方が思い浮かべる“北谷”である美浜地区は1988年に造成された埋立地。その中心でもあるアメリカンビレッジは1997年から施設が順次オープンし2000年台に入ってからほぼ完成に至りました。
▲40年前は海だった場所▲
アメリカンビレッジでお買い物や食事を楽しむのはもちろん、夕陽がきれいなサンセットビーチ、安良波公園の絵になるバスケットコート、ダイビングとサーフィンもできる宮城海岸など、とても賑やかな海辺。そんな海辺が数十年前には無かったと思うとなんだか不思議な気分になりますし、また昔の海岸線の痕跡が今も北谷町内で見られるとは想像もしませんでした。
おわりに
北谷町立博物館には北谷町のジオラマがありますので、北谷町の変遷を俯瞰で楽しむ事もできます。
また縄文土器づくり、ヤコウガイアクセサリーづくり、ゆし豆腐づくりなど、ワークショップもさまざま開催され、北谷町や沖縄の歴史文化を気軽に体験する事ができます。
もし2度、3度と北谷町に訪れる事があれば、ぜひ北谷町立博物館にお立ち寄りください。きっと知れば知るほど北谷町が好きになるはずです。
関連記事:『北谷町立博物館』~今も昔も人・文化が行き交う北谷。伊礼原遺跡から浮かびあがる沖縄の縄文時代~
- 住所
- 沖縄県中頭郡北谷町伊平1丁目11番1号
- 営業時間
- 9:00-17:00 休館日 月曜日、祝日、毎週第4木曜日、6/23(慰霊の日)、年末年始(12/29-1/3)。※その他臨時で休館する場合があります
- 備考
- 入館料 無料(常設展示を見られる場合は100円程度の協力金をお願いしています)